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人付き合いが苦手な人にすすめる1冊、嫌われる勇気を読んでみた感想

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嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え
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シンプルなようでいて奥の深い内容。難しいけど考えさせられる内容です。

ネットでも話題になっているし、本屋でさらっと読んでみて面白そうだったので、嫌われる勇気という本を購入しました。「自分は◯◯だから☓☓できない」なんて考えている人にオススメしたい本でした。

書いてあること自体は単純なことだと思います。ですが、その意味するところを理解し実行に移すのはかなり難しいなというのが正直な感想です。

私自身理解しきれていない部分があるので、そこを整理する意味でも本の紹介をしたいと思います。よろしくお付き合い下さい。

勇気の問題

人が変わることに抵抗を感じるのは、変わるための勇気がないからだといいます。変わることによって訪れる変化が怖くて、一歩を踏み出すことができないということです。そのようなストレスを感じるくらいなら、現状を維持した方がいいということですね。例え現状が満足のいく状況ではなくとも、何が起こるからわからない変化に比べたらマシだと考えてしまうのです。

では、勇気の問題だとは言っても、具体的にはどうしたら良いのでしょうか。勇気を出すと言っても、どうせ自分は大したことはできないし、人と話すのは苦手だし、どうせ勇気を出したところで失敗するに決まっている。そんなことを考えている人は多いのではないでしょうか。

「人と話すのが苦手だから私は人付き合いをしないのだ」というのは、人付き合いを避けるために「人と話すのが苦手」という理由を作り出しているということになるそうです。しゃべるときにどもってしまう、緊張して顔が赤面してしまう、頭が真っ白になってしまう。そういった理由があるから、私は人付き合いが苦手であり、人付き合いをしなくても仕方がないのだと安心感を得ている。私はこの本を読んでいて、グサグサと心をえぐられるかのような感じでした。

そういった恐怖を乗り越えて、勇気をもって一歩を踏み出しなさい。そう言われても、一体どうしろと言うのでしょうか。自分はこんなにも卑屈な人間なのに・・・。

ありのままの自分を受け入れる

勇気を出す第一歩は、まず自分自身を受け入れることです。

と言われても、「こんな劣ったところばかりの自分をどう受け入れろというのだ」と思ってしまいます。

劣等感は、他者との比較によって生じているものです。例えば、私はあの人より背が低いからモテない。よく考えてみれば、背が低いこと自体に優劣はありません。見方によっては小さくてかわいいだとか、安心感を与えるとか、解釈の仕方は人それぞれです。

それが劣等感になっているということは、ただ単に自分が背が低いという事実に対して「モテない」という理由を選択しているに過ぎません。それは自分の主観的な解釈によるものです。自ら選択した結果だということは、再び自分で選びなおすことができるのです。

大切なのは「何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか」ということです。自分には◯◯がないから☓☓できない、あの人には勝てない。そう考えるのではなく、今自分が持っているものをどう使うかを考える。自らコントロールできないことをあれこれ悩んでも仕方がないのです。

それは課題の分離につながることでもあります。

課題の分離

他人の顔色が気になってしまって仕方がないというのは、誰しも経験のある感情だと思います。あの人に◯◯と思われたらどうしよう、なんて窮屈な思いをしてしまっている状態から抜け出すヒントが、課題の分離です。

課題の分離とは、他者の顔色をうかがわず自分のための人生を生きるために必要な「対人関係の出発点」です。考え方は至極単純で、「その課題は一体だれの課題なのか?」ということだけです。そして、課題を分離した結果、自らの課題には他者を踏み込ませず、他者の課題には踏み込まない。これを固く守ることが、対人関係の中で大事だということです。

目の前にある課題、その課題が誰の課題であるかをしっかりと見極めることが重要です。本の中では、親が子供に勉強しなさいということが、課題の分離ができていない例として挙げられています。

子供が勉強するのは、子供の課題であって親の課題ではありません。子供が勉強する・しないの選択の結果によりもたらせる結末を最終的に引き受けるのは子供です。決して親ではありません。

にも関わらずこの課題に親が介入することで、子どもとの対人関係がこじれてしまいます。子は親の介入に反発するか、表面上従っているように見えても心のなかでは反発していたり、親に過度に依存して自立を阻害してしまっているかもしれません。

他者が何を選択しどう行動するかは、その人の課題です。自分の課題ではありません。ということは、私の行動の結果について、相手の顔色をうかがうということは、他者の課題に介入していることになります。自分の行動の結果、相手がどう思うかは相手の課題なのです。自分の課題ではないので、あれこれ悩むのは意味が無いということです。

他人の課題に介入せず、自分の課題に踏み込ませない

では、他者の課題に介入するなということは、他者に無関心でいろということでしょうか。いいえ、決してそうではありません

先の子供の勉強の話で言えば、「勉強する・しないは子供の課題だから俺は知らん」と放任を認めるわけではありません。子供に対して、勉強しないことによるデメリットを説明したりすることは必要です。ただ、その上で子供がどういう選択をとるかを強制してはいけないという話なのです。

放任することと見守ることは全く違います。そこは履き違えてはいけません。ひきこもりの子供に対して、それは子供の課題だから仕方ないというのではなく、子供が何をしているのかを知り、その上でいつでもサポートができるようにしておくことが大事です。

ただ、この辺りがまだ私でも理解しきれていないところです。相手の視線を過剰に気にするのは意味のないことで、相手がどう思うかは相手の課題なのだからということと、子供の勉強・ひいては将来について心配することと、同列では語れないような気がします。

この辺りは極論で考えず、まずは自分が悩んでいる事柄が一体誰の課題なのかを考え、自分の課題ではないのであれば深く悩まないようにすればいいのかもしれません。

深い一冊

正直内容が濃すぎて、理解しきれていません。それに本に書いてある内容を、全て手放しで受け入れられるわけでもありません。

可能性の中に生きている間は変われない、人間の悩みは全て対人関係の悩みである、見かけの因果律、劣等・優越コンプレックス、自慢は劣等感の裏返し、不幸自慢、健全な劣等感、人生のタスク、承認欲求の否定、などなど。この本にはまだまだたくさんのことが書かれています。「どういうことだろう?」と思った方は、ぜひ本を買って実際に考えてみてください。

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