コミュ障は治らなくても大丈夫を読んだ

コミュ障は治らなくても大丈夫 コミックエッセイでわかるマイナスからの会話力
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あるあるとなるほどで、視界が開けた気がする

文化放送のアナウンサーヨッピーのコミックエッセイです。読んでみたら「うわああ」と正視できないエピソードから始まり、「あるある」とその失敗談に共感し、そして読み終えれば「なるほど!」とちょっとコミュニケーションに対する苦手意識が薄れたような気がする、そんな本でした。

期間限定なのかどうかは分かりませんが、Webで一部のエピソードが読めるようなので、気になる人は見てみたらいいと思います。

コミュ障とひとことにいってもそもそも言葉の定義が曖昧ですし、人によって程度がまちまちですが、この本がターゲットとしているのは「見ず知らずの人と上手く打ち解けられない」とか「何気ない雑談を楽しむことができない」といった人がターゲットなのかなと思います。

別に日常会話ができないわけではないけれども「こんなこと言ったら失礼かな」「変に思われないかな」と考えてしまって、会話を楽しむ前に気苦労が絶えず疲れてしまう、という人がターゲットとしてはドンピシャなんじゃないでしょうか。つまり私はドンピシャでした。

最初はヨッピーの失敗エピソードから始まるわけですが、読んでいて「うぎゃー」となりました。あるあるすぎて見ていられないという感じでした。だからこそ、そこからどうやって光明を見出していったのか。どう改善していったのか。そこが非常に勉強になりました。

コミュニケーションのテクニック本というほど、この本で掲げられているコツは難しくありません。本当にちょっとした些細なことです。でもそれが逆に、「あ、これなら自分もできるかも」と思えるのです。なんだよ、コミュニケーションなんてそんなに気負わなくていいんじゃんと、ちょっと肩の荷が下りたような気になります。

私がなるほどなあと思ったのは3点あります。

1つめと2つめは会話のボールを自分が投げるときの話ですね。自分が逆の立場で考えると、「なんでその仕事を選んだの?」と聞かれるより「どうやってその仕事についたの?」の方が答えやすい気がします。

聞いちゃいけないことはそんなにないっていうのも、いやいや聞いたら失礼なことだってあるだろって反論したくなるんですけど、これは3つめと一緒に考えたほうがいいと思うんですよね。

ぶっちゃけてしまうと、私が一番「なるほどな」って思わされたのが、上記の3つめなんです。自分が触れられたくないことを相手からいわれた時に、自分がどう反応するかっていう話。それが本当に嫌で嫌で仕方ないことならともかく、それを「傷つきました」って凹んで返すのと、「そうなんだよー」って笑いで返すのとどっちがいいんだろうっていう話なんです。

そのムッとするような一言、なんでムッとしたんだろう。それは自分が守りたいと思っている自分のイメージを毀損されたからなのではないだろうか。そもそも「自分はこう思われたい」と思ったところで、それを他人に強制することはできない。自分のキャラは自分ではなく他人が決めるもの。そんなことに気づいてから、周りが自分のことをいじってくれるようになって、仕事もうまく回りだしたというエピソードが紹介されていました。

それはヨッピーがいじられキャラを許容できるからだなんて反論もあるかもしれません。でもとっつきやすくて話してて楽しい人が、いったいどういう人なのか考えてみた時に、何を言っても笑って返してくれる人っていうふうに思い浮かばないでしょうか?

私はこの本を読みながらそんなことを思ったのです。地雷が多い人とは話しにくい。タブーは触れられるのも嫌ですが、それに触れる方も嫌なものです(地雷を踏み抜いた後の気まずい雰囲気を味わうのが嫌)。

自分の発言がタブーに触れてしまうかどうかは、これはもう分かりません。そんなに思うほど多くはないといわれても、こればかりは勇気を持って踏み出してみるしかありません。ただそうやって相手も踏み出しているわけです。それで自分のタブーに触れられた時に、それが譲歩できることなのかどうかを考えてみたらどうだろうという風に、このエピソードは私には読み取れたのです。

譲歩できるなら笑いに変えてみなよ。それもコミュニケーションのテクニックだよというのは私には新鮮でした。

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