向日葵の咲かない夏を読んで気になったこと(ネタバレ有)
本書を読んだきっかけは、とある動画でイヤミスとして紹介されていたことだった。
読んでみると非常に面白かった。たしかに道中の気味悪さはあったけれど、読むのが嫌になる感じではなかった。
しかも私にしては珍しく、読み終わったあとに「あれはどういう解釈をすればよいのだろうか」と何度か読み返した。それにとどまらず他の人の感想が気になって仕方がなかった。書評を検索してまで読もうとしたのは私にしては珍しいことだろう。
それでも解決しなかったので、気になったところをここで書こうと思ったわけである。ネタバレを気にせず書くので、気になる方は本書を先に読むなどしてほしい。
主人公の家庭環境が壊れる経緯に共感してしまった
そもそも書評(になってるかはしらんが)を書こうと思ったきっかけは、ミチオの家庭環境がこうなるに至ったきっかけにすごい共感してしまったからである。
ミチオというのは主人公のことだ。
ミチオの家庭環境が異常そうだ。どうやら母親からネグレクトを受けているような状態であることは冒頭から察していた。ただ、ミチオはそれを悲観するでもなく受け入れているようだった。だからまあそんなもんなのかなと読み進めていく。
終盤なぜ母親からそのような扱いをされるかが明かされるわけだが、それはミチオがとった1つの行動の結果だった。
ミチオは母親の誕生日プレゼントを、奇を衒った渡し方をして驚かそうとする。普通に渡せばそれだけで十分喜んでくれるのに。単に渡すのが恥ずかしいからか、せっかく用意したのだからドラマチックに渡してより感動させようというのか。そうやって凝った演出をしようという心意気が共感できてしまう。
その方法はプレゼントの鉢植を下駄箱に入れて、火事だと叫んで驚かすという方法だった。火元を確認したらプレゼントが置いてあって、まあなんていうことでしょうってやりたかったんだろう。
ミチオは当時小学1年生である。ああ、分かるってなってしまった。やられたほうが全然ありがたくないけど、小学生男子がやりそうなこと。というか私もやりそうという行動で、「あーっ、これ俺だ」ってなってしまった。
喜ばせようと思ってしたその行為は最悪の結果を生む。母親はびっくりしすぎて階段を踏み外して転げ落ちた。そんな母親は妊娠していた。待望の女の子が生まれるはずだった。しかし階段から落ちたことによって流産してしまう。さらにはもう子供が産めない体になってしまう。
悪気があってやったことではない。むしろ喜ばせようと思ったのである。しかし結果はあまりにもひどい。
父親はミチオのせいではない、仕方のないことだと受け入れた。これもなかなか難しいことだと思う。自分が同じ立場ならどうだろうかと思うとやりきれないものがある。
しかし母親は違った。受け入れられなかった。結果ミチオを憎むようになり、人形を生まれてくるはずだった女の子として扱うようになる。そんな家庭で育ったのがミチオである。
決して悪気があってやったことではない。だけど取り返しのつかない結果になってしまった。そのような経験は誰しもあるのではないだろうか。
健気とみるか異様とみるか
母親から愛情どころか憎悪を向けられるようになってしまった。その原因は自分にある。そんな状況で育った主人公。しかし諦めはあるものの、悲観した様子はないように思えた。
主人公をどういう人物と解釈するかで受け取り方が変わると思う。私はこのような経緯から母親からは疎まれるようになってしまったが、それでも物語を構築することで適応しようとした健気な少年、と解釈することにした。
それでも最後にはそんな物語の世界を壊すべく、自ら自室に火を放つことを選ぶ主人公。最後の最後で父母に助けられて一人ぼっちになってしまうのだが、それはそれで救いになったのではないかなと私は思う。
ただその解釈をする上で避けて通れないのが、ミチオが人を殺したのかどうかという点である。
ずばり泰造の最後はどうなったのか
書評をいくつか見て回ったけれど、ここについて書いてあるものはあまり見かけなかった。最後のシーンの影が1つしかないというところにゾッとする、みたいなのはよく見かけたけれど。
私は最後のシーンについては、ある意味ハッピーエンドだと思っている。ハッピーというのは語弊があるけれども、別にミチオが両親を殺そうと思って殺したわけではないし。むしろ両親によって救われたというのは、特に母親から忌み嫌われていたミチオにとっては救いといえなくはないかと思うわけである。
それはともかく、私はどうしても泰造をミチオが殺した部分の描写が納得いかない。というよりはただ一点が気になっていて、おじいさんが60cm四方の百葉箱の中に入ることができるのか、というのが引っかかって仕方がない。その中に人間が入るのは無理があると思うんだけれど、そうでもないのだろうか。
この描写のあと、おじいさんはミチオの元にカマドウマとして生まれ変わってくる。その状態ならあの描写には何ら問題がないだろう。ここから考えると、おじいさん視点の描写はすべてミチオの物語ともとれる。
おじいさん視点の描写部分はすべて「***」で始まっているから、そこも関係しているのではと思う。が、普通に読むならば、やはりそこはおじいさんの視点での描写と受け取るのが素直な気もする。
何よりミチオは自分でおじいさんを「殺した」と発言しているし。おじいさんが死んでいたニュースから物語を構築したと考えるのは無理があるのは自覚している。しかしやはり百葉箱の中に入るの無理だろうってのがどうしてもひっかかる。
そう思って百葉箱の画像を検索したら意外と大きいサイズのものもあるようで、それなら人が入るのも可能かもしれない。
単純に私が「ミチオは健気な少年だ」と読みたいからそう解釈しようとしているだけかもしれない。そうでないなら、小学4年生にして人を殺すことに何らの抵抗もない少年ということになるから。
もっといえば。ミチオの精神年齢はかなり高くて、すべての描写はミチオが普通の小学4年生ということにするための物語の演出と受け取ることもできる。とすれば自室に火を放って火を放ち、最後には一人になってしまった描写についても能動的に行ったと考えられる。つまり両親をあえて殺したと。
さすがにそこまでいくと、それはそれで極端な解釈の仕方だろうか。
書いてあることを字面通りに受け取っても微妙に釈然としないし、信用できない語り手として読むといかようにも解釈できてしまって困る。だからこそ他の人の解釈が知りたいと思ってしまうわけだ。
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