平気でうそをつく人たちを読んだ

平気でうそをつく人たち
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読むのが苦痛だけど、示唆に富んでいると思う。

平気でうそをつく人たちという本を読んだ。人間の邪悪性を科学の観点から見てみようという本である。

とても示唆に富んでいるとは思うのだが、私にとっては読むのが難しい本だった。

読むのが苦痛

文章が難解だから、という意味ではない。書いてある内容が的はずれだと思うからでもない。文章を読んでいるうちに、憎いあんちくしょうのことが頭に浮かび、文字を追いかけながらそっちのことを考えてしまう。だから読むのが苦痛だし、文字を追ってるようで頭に入ってきていないので理解が難しい。そういう意味で読むのが苦痛なのだ。

自分を見つめ直すために読む

この本では精神科医として診療を行っている著者が出くわした事例がいくつか紹介されている。読めばこの人(患者のこと)は何かがズレているというのが分かる。しかしその一方で、このような人は自分とは関係ないところにいる人だという、どこか彼岸の話であるという感覚に陥ってしまう。

もしくは、私が読みすすめるのが困難だったと書いたように、自分の周りにいる困った人を連想してしまう。あの人もこういう感じだなと。

しかしこの本はそういう読み方をするのではないと思う。自分とは関係ない話、周りの誰かの話だとして読むのは危険だと思う。なぜなら「自分のことではない話だ」と捉えてしまうからだ。

邪悪な人はいる。きっとあの人がそうなのだ。実際読みながら何度もそんな考えが頭を支配し、文字を追いかけていたと思ったらその人のことを考えていた、なんてことがしょっちゅう起こった。何度も本を途中で閉じた。そのまま読みすすめると頭がおかしくなりそうだったからだ。

しかし一方で、この本に書いてある邪悪性について、自分にも当てはまらないだろうかということも感じていた。自分は何かにつけて周りのせいにして、自己正当化しているのではないのかと。

本に書かれている事例は、たしかに自分を苦しめる人に当てはまるものと思えた。それと同時に、自分にも当てはまっているように思える。

この本は、自分の周りにいる邪悪について書かれている本であり、同時に自身の邪悪について書かれた本でもある。自分の邪悪性について見つめ直すための本なのだ。そうとでも考えないと、とてもではないが読み進められない。

悪には愛で

邪悪に対して破壊で対応するのは間違っていると最後の方にちらっと書かれていた。悪には愛で応じるのだと。無茶難題である。

しかしながらハッとさせられる言葉でもある。私自身が破壊的対応で対応しているからである。

では愛で対応できるかといわれると、無理と即答できる。しかし思いとどまらせる一言ではあった。思いとどまらせるというよりは、自覚させられたというべきか。自分は悪に悪で対応していると。その悪はさらなる悪となって自分に牙を剥くというのに。

頭ではわかっても難しい話だ。

自分語りになってしまった

途中から自分語りとなってしまい、本の内容そっちのけになってしまった。しかし、自身を見つめ直す観点で読んでよかったと思える本だったので許してほしい。

人の邪悪性について書かれた本である。それはあなたの隣人の邪悪性に焦点を当てるものかも知れない。自分が苦しめられているものの原因に気づかせてくれるものかも知れない。

しかしそれは、何も周りの人間の邪悪性だけを、世の中にはこのような邪悪な人間がいるのだということを書いた本ではない。他人の邪悪性を通じて、自分の邪悪性と向き合う本なのだ。

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