折れた竜骨は純粋な知的遊戯ミステリ
ファンタジー要素、魔術や不死の人間なんかが出てくる物語です。でもミステリなんです。
魔法があるならミステリのルールなんて役に立たないのではと思われるかもしれません。 しかし読んでいけば分かるのですが、実に魔法があっても実に論理的な物語です。 魔法を使っても、あたかも指紋が残るようにその痕跡が残るので、何が行われたかが分かってしまうからです。
物語の舞台であるソロン島の領主が殺されてしまうのですが、その殺害は魔術によって操られた人物によるものであることが示されます。魔術で操られた人物は、自分が犯行を行ったことは覚えていません。
なんじゃそりゃと思われるかもしれません。しかしよく考えてみると、これは「犯行の動機について考える必要はない」と言っていることと同義なのです。
ミステリにおいて犯行の動機は重要なファクターを担っています。私はミステリ読むときは、この動機に惑わされることが多いです。なんでそんなことをしたのか。この人がそんなことするはずがないとか。誰かの命を奪うということに、納得のいく理由を求めてしまいます。
しかしこの折れた竜骨では、親切にも動機は考えなくていいよと言ってくれます。さらには容疑者はも限定してくれて、その中から条件に合う人を見つけたらいいよと言ってくれるのです。こんなに親切で、それでいて考えがいのある物語はなかなかないと思います。
著者はあとがきで
特殊設定ミステリは「読者との知的遊戯」というミステリ本来の魅力を引き立てやすいことがわかった。解くべき謎に考慮すべきルールが加わることによって、争点が見えやすくなるからだろう。
と書いていますが、まさにそのとおりだと思いました。
私はミステリを読んでいると、結局何が分かればいいのかが曖昧なまま読み進めることが多いです。犯人が分かればいいのか、犯行方法が分かればいいのか、動機が分かればいいのか。この人が犯人っぽいけど、あの密室はいったいどうやって作り上げたのか・・・そもそも動機は何なんだろう。なんてモヤモヤしながら読むことが多いです。
しかし折れた竜骨では、純粋に「この容疑者は魔術によって操られた人物である可能性があるのかどうか」を考えることだけに集中すればいいのです。物語の雰囲気も良かったのですが、私は何よりもこの「知的遊戯」に心が踊りました。
納得のいく結末であったかといわれるとちょっと微妙なのですけれども、それでもすべて伏線が張られた上でのものです。答えにたどり着くための情報は正当に提示されていました。ただ私が与えられた情報を解釈して、その先を考えることができていなかったから納得が行かなかったのだと思います。
その意味では、ミステリの奥深さについて考えさせられる作品でした。自分の中にある「こうあるべき」という常識を疑い、先入観を取り除いて起こった事実に向き合うことの大切さ。そんなことを教えられたような気すらします。
折れた竜骨は、もともとはハイファンタジーな世界を舞台とした小説だったそうです。それをヨーロッパを舞台に改修したという経緯があるそうです。その理由が修道士カドフェルシリーズにあるそうなので、折を見てこっちのシリーズも読んでみようかなぁなんて思っています。
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