2つの切ない物語、さよなら妖精を読んでみた
さよなら妖精は、大刀洗万智が出てくる最初の小説です。
大刀洗万智を探偵役に据えたシリーズを<ベルーフ>シリーズというそうです。刊行されている作品でいえば、「王とサーカス」、「真実の10メートル手前」がそれにあたります。
ちなみにベルーフとはドイツ語で、職業とか生業とか使命とかそういう意味の言葉だそうです。
<ベルーフ>シリーズでは、ジャーナリストとなった大刀洗万智が主人公の物語です。取材を通じて謎に迫っていくわけですが、そのときの取材対象との向き合い方や報道することに対する姿勢が、このシリーズの1つのテーマとなっているそうです。その意味で同じ大刀洗万智が出てくる話でも、彼女が高校生のときを描いた本書は、<ベルーフ>シリーズにはカウントされていないということなんでしょう。
そもそもこの「さよなら妖精」は、大刀洗万智が主人公の話ではありません。ですが、彼女のひととなりを知る上でとても重要な位置づけの作品だと思います。
私がこの作品を読んだときには、<ベルーフ>シリーズの存在など知りませんでした。そのため大刀洗万智がどういう人物なのかを知らずに読んだわけですが、それが逆に良かったように思っています。この作品をもっとも楽しむには、大刀洗万智に対して何の先入観もない状態で読むことが一番だと私は思います。
<ベルーフ>シリーズとの物語としての連続性はまったく無いので、「さよなら妖精」を読んでいないと「王とサーカス」が楽しめないわけではありません。(「真実の10メートル手前」については、「さよなら妖精」の後日談となる短編が含まれているので、必ずしもそうとは言い切れませんが)
ただ「王とサーカス」を先に読んでしまうと、大刀洗万智の内面(性格や考え方など)というどうしようもないネタバレが避けられません。彼女の内面がわからないからこそ「さよなら妖精」が面白と私は思うので、「王とサーカス」を読みたいのであれば「さよなら妖精」から入ったほうがいいんじゃないかなぁと思います。
なぜなら「さよなら妖精」の真骨頂は、物語の最後で唐突に見えてくる、本作のもう1つの姿だと思うからです。今まで読んでいた本書の姿が、まるっきり別の姿を現したときのカタルシスと言ったら。頭を鈍器でがつんと殴られたかのような衝撃でした。
私が米澤穂信作品にハマる大きな転換点となったのがこの作品です。以来私は、頭を「ガツン!」と殴られるかのような衝撃を得たくて、米澤穂信の作品を読んでいると言っても過言ではないかもしれません。それくらいに私にとって、この作品は衝撃的で印象深いものとなったのです。
どんな作品か
異国から来た少女マーヤと短くも濃い時間を過ごした主人公たちが、帰国した彼女からの便りがないのを心配して、せめてその彼女がいったいどの国に帰ったのかを彼女と過ごした時間を振り返りながら突き止めようとするという物語です。
これだけでは「なんじゃそりゃ」と思われるかもしれません。補足すると、マーヤはユーゴスラヴィアからやってきたのですが、彼女が帰国する際に同国で内戦が勃発します。そんな状態で帰国するので、マーヤは自分が帰る地域を告げずに帰国します(もしも主人公たちがやってきたら危険だという思いから)。その代わり、マーヤは自分から手紙を書くので待っていて欲しいといって帰国します。しかし待てどもマーヤからの手紙は届きません。
内戦によって郵便網が混乱して届かないだけなのかもしれない。初めのうちはそう思えても、1年たっても手紙は送られてきません。マーヤはどうしているのだろうと、そんな心配だけが募っていくのです。
そんな中で主人公たちにできるのは、彼女と過ごした時間を思い返し、マーヤが具体的にユーゴスラヴィアのどこに帰ったのかを明らかにすることくらいです。そうすることで、そこが内戦の激しい地域でなければ、「きっと手紙が届かないだけなのだ」と少しは安心できます。もしも中心地であったならば、少なくとも覚悟を決めることができる。どっちつかずで宙ぶらりんの状態から抜け出したい。そのためにできることは、彼女がどの地域に帰ったのかを突き止めることしかないと、そういう話なのです。
クライマックスの衝撃と、そこから見えてくる物語の別の側面こそが、この作品の醍醐味です。
最後に表れる物語のもう1つの姿
私はこの作品好きなのですが、それはミステリ、推理モノとしてではありません。謎解きが面白い作品ではないと思います。
それなのにとても印象深い作品として私の心に刻まれたのは、クライマックスに受けた衝撃がすべてです。青春モノとして感じる焦燥感とか甘酸っぱさなども面白いとは思うんですけど、そういうのをすべて吹っ飛ばす最後の衝撃が、私はどうしても忘れることができないのです。
それは単に「衝撃の結末だった」だけではありません。いや、衝撃の結末であることは間違いないのですが、それだけではないのです。最後の最後で物語がもつもう1つの側面が見えてくるところがすごかったのです。
「さよなら妖精」を読んでいると、「マーヤはどうなったのか」にずっとスポットライトが当たった状態なのです。そこでいきなり万智にスポットライトが当たった瞬間、この物語のもつもう1つの側面に気づいた瞬間、ゾワゾワっと鳥肌が立ちました。
この作品の主人公は大刀洗万智ではありません。どっちかというと万智は脇役です。ですが最後まで読むことで、万智から見た物語という別の側面がぱっと表れるのです。そのぱっと表れる演出の仕方が衝撃的でした。今まで漫然と読んでいた物語のピースが、ピタリと1つに収束するような感覚。実に衝撃的でした。
私は米澤作品にかぎらず、今まで読んできた物語がまったく別の姿を表す瞬間が好きです。登場人物の発する何気ない一言、行動。それをきっかけに、物語の別の姿に気づく。ぶわっと視界が開けたかのような感覚。それを味わえる瞬間が気持ちいいのです。
この感覚を味わった時、それが私が米澤穂信にハマった瞬間でした。だから「さよなら妖精」は私の中でとても印象的な作品なのです。
思い出補正でその印象が強化されてる気もしないではないですし、そもそもこう言った感想を書いている時点でネタバレになってしまってはいるんですが、クライマックスで「してやられた」ってなりたい人に読んで欲しいなぁと思います。
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